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米軍占領下の原爆の図全国巡回展 -被爆体験の国民的共有を目ざした最初の試みの実態調査研究-



グループ名 研究成果発表会配布資料[pdf]
研究成果発表会配布資料[pdf]
代表者氏名 岡村 幸宣 さん
URL http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
助成金額 70万円

岡村幸宣著『《原爆の図》全国巡回占領下、100 万人が観た!』( 新宿書房)、2015年10月30日刊行

「原爆の図」に見入る来館者。ワシントンD.C.のアメリカン大学美術館にて。

丸木夫妻自身により、模写として再制作された《原爆の図》(第2部「火」、第3部「水」)より。それぞれ左が模写、右がオリジナル

研究の概要

2014年12月の助成申込書から
 画家の丸木位里・丸木俊夫妻は、広島・長崎の原爆被害の報道がプレスコードによって禁止されていた米軍占領下の1950年代はじめに、絵画連作《原爆の図》を描き、全国各地で巡回展を行って、いち早く核の脅威を人びとに知らせた。  しかし、米軍の圧力を恐れた当時のメディアにはほとんど報じられず、展覧会の記録も残されないことが多かったため、その全体像はいまだに明らかになっていない。  ともすれば不可視の状況に置かれることの多い核被害を可視化させた最初期の実例として、また、芸術による想像力で記憶を伝えた試みとして、丸木夫妻の活動は、「3.11」後を生きる私たちの現在、そして未来を照射する重要な意味を持つだろう。  近年新たに掘り起こした資料や証言、さらに映画や幻灯などの多様なメディア表現も調査しながら、《原爆の図》がどのように受容され、広がっていったのかを、可能な限り具体的に明らかにしていきたい。  あわせて、1945年の核の誕生以来、広島、長崎、ビキニ、スリーマイル、チェルノブイリ、福島など、今日までたびたび繰り返されてきた核被害に対峙し、表現されてきた数多くのアート作品―「非核芸術」と位置づける―を《原爆の図》と対比しながら、目に見えない放射能や、隠蔽されることの多い核被害を、芸術家の想像力という視点から可視化するための調査研究を継続的に行っていく。

中間報告

2015年10月の中間報告から
 画家の丸木位里・丸木俊夫妻は、広島・長崎の原爆被害の報道がプレスコードによって禁止されていた米軍占領下の1950年代はじめに、絵画連作《原爆の図》を描き、全国各地で巡回展を行って、いち早く核の脅威を人びとに知らせました。しかし、米軍の圧力を恐れた当時のメディアにはほとんど報じられず、展覧会の記録も残されないことが多かったため、その全体像はいまだに明らかになっていません。近年新たに掘り起こした資料や証言、さらに映画や幻灯などの多様なメディア表現も調査しながら、《原爆の図》がどのように受容され、広がっていったのかを明らかにしていきます。  原爆投下から70 年という節目の年に当たる今年は、15部連作の《原爆の図》のうち6点が米国ワシントンD.C. からボストン、ニューヨークを巡回し、あらためて核のもたらした惨禍を伝える機会となっています。ワシントンD.C.では会場を訪れた様々な立場の人たち(例えば、20年前に「原爆展」問題が起きたスミソニアン国立航空宇宙博物館の元職員、広島・長崎へ原爆を投下したB-29が発進したテニアン島に勤務していた94歳の退役軍人、中東移民の芸術家など)の感想を聞き、《原爆の図》の今日的な意味について考えました(7月21日付『西日本新聞』に寄稿)。  国内においては、最初に《原爆の図》を映像として伝えた1950年のニュース映画や1953 年公開の記録映画のフィルムをデジタル化し、これまで知られていなかった占領下の原爆の図全国巡回展の記録を広く一般に周知するため、『《原爆の図》全国巡回 占領下、100万人が観た!』を刊行しました。  8月1日の広島芸術学会シンポジウム「戦争画と『原爆の図』をめぐって―その政治性と芸術性の問題」では、占領下における原爆の図の公開と巡回展の意味についての考察を報告しましたが、「政治性」に対する一部の人々の根強い拒否反応を実感することもありました。  広島では、丸木夫妻の影響を強く受けた画家・四国五郎の作品調査及び《原爆の図》初期三部作再制作版に関する調査を行いました。また、長崎などに点在する15部連作以外の「番外」「外伝」とも言うべき《原爆の図》の作品調査も行い、8月30日には丸木美術館で小沢節子氏(近現代史研究者)との対談で《原爆の図》に対する新たな視点と研究の可能性を提示しました。

結果・成果

完了報告・研究成果発表会資料より
 原爆投下から70年という節目の年は、丸木位里・丸木俊夫妻の《原爆の図》を再検証する一年になりました。《原爆の図》が、米国ワシントンD.C.をはじめボストン、ニューヨークの3会場で巡回展を行ったことは、「原爆投下は正しかった」とする米国の歴史観に一石を投じました。会場で鑑賞者の反応を実際に見て、作品の解説を行う中で、絵画の想像力によって原爆に接近することが、国内外を問わず、非体験者にいかに重要な「体験」となるかを実感しました。  国内では、主に1950年代の映像や証言、資料を調査して、作品の誕生と全国巡回展の歴史的背景を考察し、書籍『《原爆の図》全国巡回 占領下、100万人が観た!』にまとめて新宿書房より刊行しました。  《原爆の図》を取り巻く実証的研究を進めたことで、占領下の原爆報道への圧力に抵抗した人びとの動きが明確に浮かび上がる一方、米国側がどのようにその動きを捉えていたのか、日本の政治運動との関わりがどの程度あったのかという、さらなる調査課題も見えてきました。  《原爆の図》の絵画的側面についても、15部連作だけでなく、模写として再制作された作品や、各地で依頼されて描いたその他の作品も視野に入れながら、原爆の惨禍をいかに絵画として表現したのか、多角的な検討が必要であると感じました。この研究の成果をもとに、継続して1950年代の研究を進めながら、70年代から80年代に再興する反核運動と《原爆の図》の関係も、今後新たに調べていきたいと思います。

その他/備考


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