深草 亜悠美 さん | ||
50万円 |
『ベラルーシ視察報告書「みらいへのかけはし」─チェルノブイリ原発事故の経験から学ぶ』 http://www.foejapan.org/energy/chernobyl/belarus_report.htmlより注文可能
旧「チェルノブイリの子ども達財団」(現:「子ども達の喜びのために」)の創設者イリーナ・グルシェヴァヤ。過去にベラルーシであったデモについて写真で説明している。
チェルノブイリ:『消えた458の村』を片手にチェルノブイリ被害について説明する保養施設「希望21」の職員。
インタビューの様子。(右が深草さん)
高汚染地域の住人の移住のために作られた人口の村 スターリーレペル。
2014年12月の助成申込書から
チェルノブイリ原発事故後29年を迎えるベラルーシは、事故をどのようにとらえ、受容してきたのだろうか。 チェルノブイリ事故が語る事の一つとして 、29年経った今でも事故は収束していないということである。事故現場で事故処理に携わる人がいること、故郷に戻れない人がいる事、健康被害を抱えている人がいるという事実は、今後さらに何十年にも及んで続くと予想される。同時に、29年という時間の経過は、事故の後に誕生した世代が成人し、社会に出て行く一つの世代も表している。
日本でも原発事故から4年経ち、原子力問題が健康、経済、政治、技術、安全保障の面だけでなく、思想や市民社会そのものの問題として語られる事も多くなったように見受けられる。原子力災害が一過的な物ではなく、半永久的に続く問題であるということに気付く人々も少なくない。しかし日本の社会を鳥瞰すると、無関心層は無関心のまま、政治は原発よりも経済成長、土壌汚染の直接被害を受ける人々の疲弊など、原発問題に対面する人々や社会のエネルギーが事故直後に比べれば小さくなってきているのは否めない。一方で、‘福島’がもはやただの地名ではなく、“ヒロシマ”や“ナガサキ”のように何か特定の物を想起させる単語として、日本のみならず世界に広まったのは確かである。
今回のプロジェクトは、ベラルーシでの実地調査を通じて、事故から“29年”たったベラルーシで“チェルノブイリ”がどのように生活や個人の人生に入り込んでいるのか調査し、ベラルーシの人々がどのように“チェルノブイリ”と向き合い、また向き合っていないのか、ナラティブセオリーを念頭に置きながらインタビュー調査や現地視察を行う。また調査で得られた経験を活かし、FoEでのインターンを行い、日本の原発問題、エネルギー問題に取り組んでいく。
2015年10月の中間報告から
チェルノブイリ事故から29年、ベラルーシの人々、社会はいったいどのように事故と向き合っているのでしょうか。
私がこのことを知りたいと思うようになったきっかけは、2年前に参加したベラルーシとドイツと日本の若者の交流プロジェクトでした。ベラルーシの人々は、「事故は忘れ去られた」、「政府は事故が終わったといっている」と話しました。
しかし、あれだけの事故が簡単に忘れ去られる物でしょうか?もしも本当に人々が事故の事を語らない、忘れているとするならばそれはなぜなのでしょうか?
そこで私は、「日独ベラルーシ三か国プログラム“市民の手でエネルギーシフトを” in ベラルーシ」に参加し、2015年3月30日-4月6日の間、ベラルーシでの現地調査を行いました。チェルノブイリ子ども基金の創設者イリーナ・ゲルシェバヤ氏をはじめ、チェルノブイリ被災者を支援する団体の職員、チェルノブイリ被災者や2世代目へのインタビューやヒアリングを行うことができました。インタビューを通し、それぞれがチェルノブイリのストーリーをもち、人々の日常の中に「チェルノブイリ」が存在するということが浮き彫りになりました。確かに人々の関心は縮小傾向にあります。また 「人々はチェルノブイリを忘れたがっている」という傾向も見受けられました。インタビューに対応してくくれた方のひとりは「無関心」と「忘れたい」という気持ちが、チェルノブイリに対する取り組みを難しくさせているといいます。今も原発事故による健康被害をうける子どもの救援に携わる女性も「親御さんが、チェルノブイリの話は恐いので子どもにはしないでくれと言う」と話しました。 一方で、「親戚に必ず1人は癌に冒された人がいる」、「支援が十分ではない」、「保養が今も大事」、「食事には気を使っている」という人もいます。独裁政府からの圧力の中でも海外のNGO と協力して子どもの救援に携わるグループも精力的に活動しており、チェルノブイリ事故を通したベラルーシ内の市民社会が醸成されていることが確認できました。
現地調査のあとは、留学していたロンドンでベラルーシ調査の報告会を行ったり、ドイツで行われたドイツ・ベラルーシのチェルノブイリ支援25 周年を記念したイベントに参加し、ドイツの市民社会でチェルノブイリに関わって来た方のインタビュー・ヒアリングを行ったりしています。
完了報告・研究成果発表会資料より
日本でも長期化する原子力災害に向き合っていくため、ベラルーシの社会はどのように事故と向き合っているか探り、ヒントを得るためベラルーシを訪れました。ベラルーシでは、インタビュー等を通し、チェルノブイリを巡る複雑な思いや社会が浮き彫りになりました。「癌の話をすることは即ちチェルノブイリの話である」と語る方や、学校教育や宗教、様々な形で社会の中にチェルノブイリ原発事故が存在していることが見受けられました。一方で、人々の関心は薄れつつあり、若者との交流会では「僕たちはもうチェルノブイリの話はしない」と話す青年とも出会いました。インタビュー先の1人は「無関心」と「忘れたい」という気持ちが、支援を難しくさせているといいます。子どもの救援に携わる女性も「親からチェルノブイリの話は恐いので子どもにしないでくれ」と言われると話していました。
一方、ベラルーシでは希望にも出会いました。ベラルーシで意見交換を行った20代の若者は事故後に生まれた世代で、保養等を通しチェルノブイリと向き合っていました。現在では彼らがボランティアや交流事業、保養の手伝いをしており、小さな規模でも次の世代が育っていました。
原子力災害の長期化をみすえ、持続可能な社会運動を作り上げていくために、今後も原発事故と向き合い続けるために多角的なアプローチを実践していきたいと考えています。被災者の感情としての忘れたいという思い、一方で支援が必要で自ら声を上げていかなくてはいけないという状況に寄り添って支援や復興を考えていくことが、長きにわたり活動を続けていく上で必要と考えました。
また、ベラルーシでの経験をふまえ、FoE Japanでの半年の研修を行い、日本の原子力政策や福島支援に関する活動に関わりました。得られた情報等はFoE Japan編集『ベラルーシ視察報告書「みらいへのかけはし」─チェルノブイリ原発事故の経験から学ぶ』にまとめたほか、ブログなどで発信を行いました。