――まず今日のお話の冒頭に、福島原発事故当時のことから伺いたいと思います。2011年3月11日、池内さんご自身はどちらにおられたのでしょうか。
池内 私は東京で会議に参加していましたが、大きな揺れがあって会議が中止になりました。私は神奈川県の逗子にあるアパートに帰ろうとしたのですが、交通機関が止まっていて、まさに帰宅難民になりました。東京と神奈川の都県境を超えるまで歩いて、そこでなんとかバスがあって新
横浜まで戻り、新幹線が動いていましたので、そのまま京都に戻りました。
――事故直後の福島第一原発の状況については、どのように見ておられましたか。
池内 京都に戻ってから、ずっと報道を見ていて、私は日曜の夜にはもうメルトダウンしたと判断をしました。ちょうど月曜日の朝に、総研大(総合研究大学院大学)の会議があって、その場で私はメルトダウンしただろうという話をしました。まだ当局は、まったく発表していない段階で
したが、ある程度状況を知っている人から見れば、その判断は簡単にできたと思います。
――そうならざるを得ないということですね。池内さんは、福島原発事故後の日本社会の対応をどのように見ておられましたか。
池内 福島原発事故がおきて、爆発した原発にヘリコプターから水をかけるようなバカなパフォーマンスがあったりして、原発の恐ろしさを知っている人たちが、政府なり東京電力の対応の問題点を批判したのですが、日本国内でも、直接被災していない地域から見ると、安全神話が崩れたとは言いながらも、やっぱり何か「見物」の状況であったのではないかという気がするんです。それからさらに12 年の状況を見ると、本当に日本人は懲りたのかなと思います。
福島原発事故について、未だに「死者は出なかった」という政治家もいますが、たしかに、死者が出ることの衝撃は非常に大きいのだけれど、放射能汚染で重要なのは、もっともっと多数の人が被ばくで何十年も苦しむということです。それが見えないんです。その重さやしんどさが伝わらないということに、大きな問題があると思います。
――それは放射能による被害の本質ですね。さて、話を新潟県における「3つの検証」に移していきたいと思います。新潟県は、柏崎刈羽原発の再稼働の議論の前に、福島原発事故の検証が必要だとして、米山隆一知事時代の2017年に、すでに2003年から設置されていた「技術委員会」による事故原因の検証に加え、新たに設置した「健康・生活委員会」での、福島原発事故による健康と生活への影響の検証、同じく新設した「避難委員会」での、原子力災害時の安全な避難方法の検証をスタートしました。この「3つの検証」を総括するために、「検証総括委員会」が2018年に設置され、池内さんが委員長に就任されたわけですが、委員長を引き受けるにあたっての池内さんのお考えを聞かせていただけますか。
池内 私は、あの検証委員会は、米山知事の英断でできたものであり、非常に意味のある重要なものだと思いました。福島原発事故については、政府事故調とか国会事故調がつくられましたが、2013年頃までに調査報告書が出され、それ以降は、ほとんど何もやってなかったわけです。事故の経過説明はなされたとしても、本質的な事故原因とか、対処の問題点とか、今後どのような方向で考えるべきか、ということの議論はなされていませんでした。
新潟県の「3つの検証」は、福島原発事故の検証を行った上で、さらに柏崎刈羽原発のことまでちゃんと議論しておこうというものでした。これはものすごく重要な試みで、米山さんはすぐにやめられましたけども、その後の花角知事もこれを否定するわけにいかず、3つの検証は、米山知事時代の流れで継続し、さらにその検証の結果を県民に問うというのが花角知事の公約でした。
それぞれの委員会は、技術委員会とか避難委員会と呼ばれていますけれど、3つの委員会の名前が、「新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」、「新潟県原子力発電所事故による健康と生活への影響に関する検証委員会」、「新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員会」というかたちとなっていて、新潟県の問題として捉えるということが初めから示されていたわけです。単に福島原発事故を検証するだけではなかったのです。だからこそ私は引き受ける価値があると思ったんです。全国の原発立地自治体からも非常に注目される取り組みだと考えました。
――自治体がこのような専門家委員会を設置することはそれまでにもありましたが、新潟県の技術委員会は東京電力のトラブル隠し発覚を発端にしたもので、原子力推進のためではなく、それを県民の立場からチェックするという役割が出発点からあったということが重要だと思います。
池内さんは、「3つの検証」の各委員会を、ほとんど傍聴しておられたと聞いています。
池内 たしかに7〜8割は傍聴していました。検証総括委員会は、それぞれの委員会の報告書をまとめるだけでは総括にならないだろうと、報告書に載ってない事柄も含めて、どういう議論がなされた結果としてどういう報告書が出てきたのかを知っておきたいということで、各委員会の傍聴に出かけました。それぞれの委員会がありますので、毎月1回か2回の会議がありました。
――相当な時間とエネルギーを投入しておられたんですね。
池内 新潟県に傍聴したいと申し出たら、交通費は出すというので、まあ謝礼はなくてもありがたいと思って出かけていました。
──その後、県の姿勢が変わってきたのですね。
池内 そうですね。2021 年1月に第2回の検証委員会が開かれましたが、そこで、私がいろいろこういうことをやりたいということを言ったということもあって、その頃から県の態度が徐々に変わり始めたように思います。柏崎刈羽原発を稼働させようという動きが強まってきたのだと思います。2021年の6月ぐらいから、私と県の間の対立点が明確になってきました。
――そのポイントとなったのが、タウンミーティングや柏崎刈羽原発の安全性に踏み込むかどうかという問題ですね。
池内 実は、対立点というのは文章になっているんです。私と県の防災局長の間で話をしてまとめた一覧表ができています。それを第3回の検証総括委員会で議論しようということになっていた。そこに5点にわたって書かれているんですけれども、その1 番がタウンミーティングです。
私は、県内の各地域でタウンミーティングを持って、検証について、県民からいろいろな意見を聞いて、それを各委員会の議論にフィードバックしたいと考えました。当時、コロナが流行っていて、県として、タウンミーティングはやりにくいというので、それだったらオンラインなどのやり方もあるだろうということで、そういう提案もしたわけです。ところが県は、県民の意見を聞く場は、報告書が出た後のことで、県民に報告書の説明をすることにとどめたいという考えでした。
――それは双方向の議論ではないですね。
池内 2番目が柏崎刈羽原発の安全性に関することです。技術委員会の報告書は、2020年10月に出されましたが、この報告書では福島原発事故の検証だけで、柏崎刈羽原発の安全性向上にどのようにつなげるかは、一切書かれていないわけです。これでは検証の目標としたことと合っていないではないかと。柏崎刈羽原発の安全性に何も言わない検証報告なんてありえないというのが私の考えです。
しかし県は、柏崎刈羽原発の安全性に関しては技術委員会で引き続き議論をするので、今回の検証では議論しないとの立場を譲りませんでした。
3番目が東京電力の適格性の問題で、東電が原発を運転する企業体として適格かどうか。その後も様々な問題が生じていますが、それについても、技術委員会で確認するので、今回は議論しないと。重要なことはみんな後回しです。
――余計なことはするなという姿勢ですね。
池内 4番目が、この総括委員会の議論内容です。各委員会からの報告書をきちんと点検するとともに、各委員会にまたがる問題をどうするか。例えば生活分科会と健康分科会は、互いに大いに関係があるのに、別個にすすめられてしまいました。健康委員会と避難委員会でも、避難の際の被ばくという論点があります。当然、合同で委員会をやるべきだという意見を、委員会で出していました。そのようなことをきちんと議論して、さらに大所高所から意見を出すことが必要であり、それが総括委員会としての役割だと述べたのですが、県は、「3つの検証」は各々独立して行い、最終報告書では、ぞれぞれの報告に矛盾することがないかを点検するだけでよいという姿勢です。
5番目は知事の出席の問題で、私はいちいち知事が出ることはないでしょうと言ったのですが…。
――知事の予定が合わないということが、総括委員会を開催しないことの理由というか逃げ口上にされていた問題ですね。
池内 そうなのです。県は知事が出るという権利を保存しておきたいということなのでしょう。この5点について対立したため、結局のところは委員会で議論ができなかったんです。
県の幹部から私が呼び出され、1時間ぐらい議論したんです。彼らは県の意見に従った運用をやって欲しいとおっしゃる。私はそれに対して私の考え方でやりたいと。せめて委員会で、県と私の、どちらの意見で進めるかということを議論したいと言ったんですが、それは結局、飲めないということで、その後、花角知事と私で、二度、面談しました。そこで知事は、知事側の意見を飲めないのならば、検証総括委員会を開催しないと言明したのです。委員会の開催権は県側が持っていますから、私はちょっと考えさせてくださいということで、そのまま物別れに終わりました。
要するに新潟県幹部及び知事の考え方は、新潟県が委嘱した委員会なのだから、新潟県の考え通りに運営してもらうのが筋であるというわけです。新潟県がお金を出しているんですよというわけです。そこまで露骨に言われたのは驚きでした。
――たしかにそうですね。
池内 これは日本の行政を象徴的に表していると思います。有識者会議とか審議会とか、だいたいお手盛りの意見を出させている。それを識者の意見を聞いたということで発表するわけですね。そのような会議運営の一大欠点を、まさに新潟県が示したということだと思います。
――このようなやり取りの中で時間が過ぎてしまい、2023年3月の任期切れで、県は委員全員を再任せず、この委員会自体を空中分解させてしまったわけですね。
池内 それは、私の委員長とか、総括委員会がなくなったということのみならず、「3つの検証」と総括体制が全部なくなってしまったのです。あとは県が、出された報告書をまとめて発表するという格好になってしまいました。
――これまでの検証を通じて、重要な問題提起もなされてきたと思いますが、すべての検証の取り組みが打ち切りにされてしまった。前代未聞のやりかたですね。これに対して、池内さんは、独自の「池内特別検証報告」をまとめ、それにともに市民検証委員会を実施しようということで、もうすでに動いておられるわけですが、そのことをご説明いただけますか。
池内 具体的なかたちはこれからきっちり進めたいのですが、せっかく私は検証委員長になって、各委員会の傍聴にも出かけて、議論の中身をある程度把握している者として、具体的に私が考えた検証総括というのをやるべきではないかと考えました。それが「池内特別検証報告」です。これは委員長としての責任であるし、科学者として、この役割を引き受けたことの責任でもあると考えています。同時にこれは新潟県県民だけに呼びかけるものではなく、やはり日本の原発のあり方について、幅広い観点からの議論につなげたいので、日本の原発行政の問題点を洗い出すものにしたいと思います。
もう一つは、いま私が対話集会などでやっていることですが、県民の方々に、「3 つの検証」においてどのようなことが議論されたかということをちゃんと話した上で、県民
の方々がどのような問題意識を抱き、どのような疑問を感じ、あるいはどのような意見を持っているかということもまとめた一般検証というか、市民検証をまとめたいと思います。これは例えばブックレットぐらいの、手軽にみなさんが手に取ってくれるようなものにしたいということで、その2本立てでやりたいと考えているところです。
実際問題、新潟県民に、この3つの検証委員会や検証総括委員会の存在、議論の中身がどれだけ浸透しているかというと、ある調査では県民の3割しか知らないそうです。
――たしかに、まず、広く県民に伝えること自体が重要ですね。
池内 いま、新潟県内で行っている対話集会には、各会場で100人から150人くらいが集まってくれます。それはある程度、原発に対して批判的な意見を持っている方々であって、まだまだ一般の人たちの集まりがないんですね。それをどうするかというのは、僕は本当に悩ましい問題で、考
えるべき問題だと思います。
――そうですね。ただ、原発に関わる問題を議論しようとすると、それなりの知識も必要になります。一方で、そこまでみんなが意識しないと安全にできないようなものは、普通の社会には無理なのではないかとも思います。
池内 科学者や技術者の中では、一つの事故があれば、事故原因を明らかにして、それを直せばより良いものができるという考えがあります。失敗学の原点です。しかし、原発事故には失敗学は適用できません。原発事故は、原因を明らかにして直せばいいというようなものではなく、その事故によって、一生をかけた悩み、苦しみを背負わされる人を何十万人も生み出してしまうからです。
――事故被害の深刻さ、対処の難しさということでは、福島第一原発事故の処理はまさに困難を極めており、その中で汚染水の海洋放出が現実問題になってきましたが、これについて池内さんはどうお考えですか。
池内 汚染水の問題は、私は東京電力がとことんサボったからだと思っています。まだまだ汚染水を保管する敷地はあるからです。より大きなタンクを用意して、固化する技術を検証することです。例えば30年間、保存すれば、放射能はかなり減衰するわけです。そういうことを一切サボっ
たことが問題です。
背景にあるのは、原発事故を何とか早く人目につかないようにしたいという動きです。事故の後遺症が人々に知られると原発は推進しづらいわけです。早く人々を元の村や町に戻し、廃炉作業を早くすすめる。私は、廃炉は100年かかる事業だと思いますが、いかにも50年とか30年で済ませられるように言うわけですよね。一方ではイノベーションコースト構想。原発事故を忘れさせて、より元気になっているように見せようとしていますね。 私は、今回の汚染水の放出は、日本人の体質。水に流して過去を忘れようとする体質がもろに出ていると思うんです。日本人として、そういう弱点というか体質を意識して批判しなければならないと思います。
――体質改善しないといけないですね。そういう意味で学ばない限り、この原発事故から教訓を得たことにならないですね。
池内 また事故を起こしかねないです。今度、事故起こしたら日本壊滅かもしれないですよ。
――まさに、そのような危機感を覚えています。次の事故がいつ起こってもおかしくないという思いですね。それを防ぐためにも本当に福島原発事故を検証し、原発を使って本当に大丈夫なのか、多くの人が見物の状況から脱却して、自分のこととして考えることが必要なのだと思います。
池内 私としても、新潟に関わったいきさつもあるので、とにかく粘り強く今後も続けていこうと思っています。
――今日はとても重要なお話をいただき、本当にありがとうございました。
【事務局追記】
このインタビューは8月29日に行ったものですが、新潟県は9月13日に、「3つの検証」に関わる報告書を発表しました。県の報告書は、技術委員会、避難委員会、健康分科会、生活分科会がまとめた4つの報告書について、「矛盾および齟齬はなかった」と結論づけただけのものでした。
これに対して池内さんは、急遽同日にオンラインで、17日には対面で記者会見を行い、「各報告書を要約しただけで、「総括報告書」の体を成していない。また、福島第一原発事故の被害を軽く見せようとするバイアスがかかっており、偏った報告書になっている。柏崎刈羽原発の安全性に関する議論が全く触れられていない」と批判するとともに、「本来、検証総括委員会で科学的に検証するはずだったが、県が行った検証では問題点の深
堀りができていない」と述べ、住民の意見を聞きながら独自の検証作業をすすめていく考えを示しました。
新潟県が、自ら設置した検証を自ら形骸化させるような報告書を発表したことにより、新潟県の異常な姿勢があらためて浮き彫りになりました。