―― 2月1日にミャンマー国軍が非常事態を宣言、全権を掌握したとのニュースが入りました。メコン・ウォッチは、その日のうちに声明を発表し、日本政府に対して、ミャンマーの民主化へのさらなる働きかけを求めました。非常に素早い動きだったと思いましたが、クーデターの情報は事前につかんでおられたのですか?
木口 実は、一週間ほど前にクーデターが起きるかも知れないという報道があったのですが、1月30日に軍が否定し、私自身は、まさかやらないだろうと思っていたところでした。今はソーシャルメディアがあるため、一報はすぐに入ってきました。ちょうど、高木基金の助成研究のまとめのために、時間を空けていたところでした。日本政府がどう対応するかわかりませんでしたが、日本の市民社会になるべく早く伝えたかったので、同僚と急いで声明をまとめ、発信しました。
―― この声明では、今回の動きを日本において理解するためのポイントがわかりやすくまとめられていました。あらためて、重要なところを説明していただけますか。
木口 今回のクーデターで、ミャンマー国軍は、昨年11月の総選挙に不正があったと主張していますが、国連事務総長は、1月28日の声明で、すべての関係者に選挙の結果を尊重するように求めていました。選挙で選ばれた代表を軍事的な手段で排除することは民主主義の原則に反するものです。
日本政府は、2011年の民政化以降、ミャンマー政権に対して、2018年度までで累計1兆1,368億円の有償資金協力を行ったほか、無償資金協力、技術協力、さらには過去の債務免除等のかたちで、多大な支援を行ってきました。
そこで問題になっているのが、これらの財政的な支援の一部がミャンマー国軍の財政基盤につながっていたのではないかという点です。ミャンマーでは、民政化後も、国軍は政府の監督下になく、国の監査機関も国防予算を監査する権限がありません。今回の声明の中でも強調したのは、「日本のみならず国際社会のミャンマー民主化への取り組み、特にさまざまな人権侵害の罪に問われている国軍への対応が適切ではなかった」ということであり、「ミャンマーの民主化に不可欠な要素の一つは、国軍の持つ国防予算とその他のビジネスからの歳入、支出の透明化」であるということです。
―― 日本の支援のあり方と、国軍とのつながりを注意深く見ていくべきなんですね。
木口 ミャンマーでは、少数民族への弾圧が収まっていないという問題があります。それにもかかわらず、日本側は、「民政化」後に普通の国になったように支援をしていました。クーデター前からこの認識を変えなければいけないと思っていました。
また、日本からの経済支援と国軍との関わりに関する理解が深まるきっかけになったのは、ヤンゴン市内の大規模複合不動産開発事業(通称Yコンプレックス)の問題です。この事業には日本の国際協力銀行(JBIC)等が融資・出資をしています。事業で発生する莫大な土地の賃料が、国軍に流れているのではないかという強い疑いがあります。
ロヒンギャ・ムスリムに対する人道危機発生以降、国軍の資金源を断たなければいけないという国際的な動きが強まりました。ミャンマー側から、Yコンプレックスに関わる情報が寄せられたのが2020年5月頃で、私たちは、ちょうど、コロナ感染拡大の影響で海外調査ができない時期でもあり、国内で、日本側の公的資金ついて、監視のレベルを上げていたところでした。
日本のNGOは、財務省との定期協議を行ってきていますが、昨年11月と今年3月に行われた定期協議で、この問題を追及し、賃料が国防省の兵站総局の口座に入金されていることまではわかりました。ただ、その後、それが国軍が管理し、ミャンマー文民政府が触れることのできない国防予算に入っていたのか、一般会計に計上されたのかを確認できていない内に、クーデターが発生してしまいました。
―― Yコンプレックスについては、クーデター発生後にキリンホールディングスが提携解消を発表したという情報もありましたが、このような企業は、軍部とかかわるようなビジネスをどのように考えていたのでしょうか。
木口 キリンも、まだ完全に提携を解消したわけではありません。キリンに対しては、国際的な人権団体から、何年にもわたって企業倫理を問うキャンペーンが行われてきました。今回のクーデターで持ちこたえられなくなって、ようやく提携解消に動き出したようです。
このような人権に関わる問題について、日本と欧米の大手企業の間では、別世界にいるような意識の違いが生じています。国連が「ビジネスと人権に関する指導原則」を公表したのが2011年ですが、欧米では、それに基づく法制化、たとえば、イギリスでの「現代奴隷法」の制定など具体的な規制の動きがあり、段階が変わってきました。しかし、日本はこの流れに乗り切れていません。一部、日本発のグローバル企業では、世界的な水準にあわせて行動しはじめていますが、ほとんどの日本企業は経営者に世界の人権意識が急速に変化しているという認識がないように見えます。企業のCSR担当者がNGOに、社内の理解が進まないと愚痴をこぼしているような状況です。
気候変動の緊急性同様、人権に関わる世界の認識が大きく変わってきていることが、日本の市民社会にも十分伝わっていないことも感じます。個人的な印象ですが、3・11以降、日本の市民社会は原発問題に非常に大きなエネルギーを割かざるを得ず、海外の市民の新しい動きが遅れて伝わっていたようにも思います。
―― 世界的な人権認識の変化を理解しないまま、日本は、官民が一体となって、ODAなどの開発援助に、ビジネスとして参入してきたということなのでしょうか。
木口 開発援助資金のかたちも変わってきています。有償のODAは、途上国への低利の貸し出しで、一定の基準を満たしたものを指しますが、OOF(Other Official Flows:その他の政府資金)の比重がますます増えています。JBICの融資はOOFに含まれます。
これは特に民主党政権以降ですが、日本の景気が悪くなり、海外に活路を求める日本企業が開発事業で活躍できれば、現地にとっては質の高いインフラが手に入るし、日本企業はビジネスとしてお金が動くのでWin-Winではないかという考え方が強くなったと思います。その背景には、新自由主義が広がり、人の意識が変わったことがあるようです。ODAをビジネスにするとか、ODA以外の公的なお金を市場で調達し、ビジネスにするということに対し、一般の意識が肯定的になってきました。
実は、ODAの円借款も、原資は税金だけではないのです。債券を発行して市場で調達したり、これまでに出してきた円借款の返済も相当額あり、そこからあらたな資金も支出しています。これまで「私たちの税金を無駄にして」と批判していましたが、今では、まるで日本という国自体が株式会社化したかのようで、その信用力で債券を発行して調達した資金を、問題事業に投資していることを見なければいけません。
―― なるほど。今までのODAのイメージとはずいぶん変わっているのですね。その様な資金の流れを日本の企業がビジネスチャンスととらえている訳ですね。
木口 それを経済面だけでみても、日本全体のためになっているのかは、かなり疑問です。たとえば、日本企業がシンガポールに合弁企業をつくり、そこからミャンマーに投資しています。おそらく二重課税を防ぐといったことなのでしょうが、タックスヘイブン(租税回避地)に近いシンガポールに会社を作るわけです。今、途上国の開発をして、日本にどれだけ資金が還流するのか。これも個人的な見解ですが、ODAのような開発資金が、大企業への補助金のようになっているように思います。こういったことに詳しい方の分析を聞いてみたいです。
―― 国が税金逃れを公認しているような話ですね。
木口 構造が非常にわかりにくい状況にあると思います。ミャンマーのYコンプレックスも、複雑な出資関係の中で進められていて、一言で説明してと言われても難しいです。また、この事業は、後発開発途上国と定義されているミャンマーにおいて、高級ホテルと高級オフィスをつくるものです。民間企業が富裕層向けビジネスをするのは自由なのですが、そこに更に日本の公的資金が投じられるということは、一体どういうことか、非常に不愉快に思います。
―― なるほど。後発開発途上国での事業でありながら富裕層向けなのですね。
木口 経済発展が民主化に必要だという面も確かにあります。私たちがODAをやめろと言わなかったのは、ミャンマーの人たちが雇用を求めているからです。実際に多くの人が海外に働きに出ており、隣国のタイなどで非常に劣悪な労働条件におかれてもいて、一般の人への影響を懸念しました。タイの水産業などでのミャンマーの人びとの奴隷的な扱いが欧米で問題になり、「ビジネスと人権」の課題として認識され、取り組みが進んだきっかけになるほど酷かったのです。
ですから、ミャンマーの国内で一定の産業がないと困ると言うことはよく分かります。アウンサンスーチー氏も2015年の選挙で、「ミャンマーに雇用を」と強く訴えていました。しかし、今はもう、国軍の暴力が過酷すぎて、すぐに一旦公的資金を止めるべきだと言っています。そして、ODA事業などのサプライチェーンに国軍系の企業が入っていないか、早急に調査し、公開するよう求めています。
―― 今回のミャンマーの問題の背景がよく分かりました。話題を変えて、高木基金の助成を受けて2020年度に取り組んでいる調査研究について伺いたいと思います。この研究では、日本と関係の深いメコン河流域の5カ国(カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス)で、人権状況に影響する言論の自由度など各国の基礎情報を文献から収集、また、過去の開発の現場での人権侵害の事例を分析するものですが、あらためてこの研究についての問題意識を聞かせてください。
木口 私たちは、20年くらい、開発による環境破壊や人権侵害の問題を公的資金の流れから監視してきました。一方で、民間を活かして開発を進めるという日本政府の方針の変化があり、民間の動きを見ていかないと、現場での環境破壊や人権侵害は止められないという状況になっています。地球温暖化の問題では、お金の流れを追う中で、石炭火力発電所をつくる企業ではなく、お金を出す銀行等に対して働きかけるというムーブメントが世界でおきていて、かなり成功しています。そのようなことも踏まえて、今までおきたこととアクターの整理を、やっておかなければいけないと考えました。
今は、気候変動の問題だと、欧米の財団の後押しも大きくて、世界で多くのNGOなどが精力的に活動していますが、例えば水力発電ダムは、企業からはクリーンエネルギーにカウントされてしまい、そこでおきている生物多様性への影響などが隠されてしまっている問題もあります。
日本でも、ESG投資が注目され、企業の人たちがSDGsのバッチを付けたりしていますが、本当にわかっているのか。
―― 「誰一人、取り残さない」ことになっていますが。
木口 「そんな難しいこと、よく平気で言うなぁ」と思います。もちろん、目指すべきではありますが。今でも開発の現場では、日本が直接関わらないようなところでは暗殺などもおきていて、その様な問題を日本の人々に知らせたいというのも、この調査研究の動機です。
海外の人権団体のレポート等も分析していますが、特にこの10年は、民主主義の後退が顕著です。開発の現場での人権侵害も起きているのですが、政治的な対立から起こる人権侵害に隠れてしまっています。その一方で、気候危機も人権侵害だと言うことで、人権団体が気候変動問題にも関わるようになっていることも新しい動きです。
もう一つ注目していることは、かつて日本企業が起こしてきたような人権侵害の問題を、タイの企業が、ベトナムやラオス、ミャンマーなどで起こしているということで、タイの市民社会の人たちが、対応する活動をはじめています。また、電力関係では、タイの電力会社に日本の資本が入っています。顔はタイ企業ですが、中身は国際的で、日本の企業も利益を得ているというのが現在の状況です。このような問題についても取り組んでいくことがこれからの課題だと考えています。
―― なるほど。非常に重要な問題であることがよく分かりました。調査研究の成果に期待しています。今日は、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。