― 飯舘村は、福島原発事故から6年が経過した2017年3月に避難指示が解除されました。伊藤さんは事故前から飯舘村に移り住み、事故後は、一時、福島市内の仮設住宅に避難しながら、飯舘村での放射能汚染の測定を続けてこられました。まず最近の村の様子を教えてください。
伊藤 飯舘村は、福島第一原発からの30km圏内に一部が含まれる自然豊かな村でした。2011年3月の事故当時、村には1,716世帯、6,544人が暮らしていましたが、2020年2月末現在の住民登録では、人口は2,284世帯、5,465人です。村の主要部分は除染されましたが、空間線量は高止まりです。特に山林の除染は手つかずで、毎時1.5〜2.0μSvと事故前の30〜40倍の状況が続いています。避難指示を解除するということは、生まれたばかりの赤ちゃんも住む村です。現に村内で数名の赤ちゃんが誕生しています。
― 伊藤さんは、村内での空間線量や、農作物、山菜などの放射線量を測定し、発信し続けておられますね。
伊藤 事故からの9年間の結論は、「測ったものはこうだったが、測らないものは分からない」ということです。
依然として高い数値が測定されるのが山菜やキノコで、ふきのとう等の山菜では、一部で基準値(100Bq/kg)以下のものもありますが、場所が違うと基準値の2〜3倍です。
村内産キノコでは、基準値以下のものはほとんどない状態が続いています、マツタケ、コウタケなど、数万Bq/kgのものが存在します。
― 村内の空間線量はどのような状況ですか。
伊藤 避難指示解除から1年経った2018年4月には、村内の施設で学校も再開されました。再開にあたり、徹底的な除染が行われ、学校内は毎時0.15〜0.20μSv程度に低減しました。しかし、学校の敷地境界から20mも離れると、空間線量で毎時1μSv、土壌は数万Bq/kgという状態です。
村内には村営、県設置、国設置など、100基を越えるモニタリングポスト(MP)がありますが、これらは設置点から1〜2mの範囲の値を示しているだけで、周辺の実情を反映していません。2019年2月に、村内あいの沢の「憩いの森」のMPを調査しましたが、MPの表示は毎時0.48μSv、持参したアロカ製の線量計でも同0.53μSvで、これは許される誤差の範囲でしたが、10m離れた道路脇では0.95μSv ,さらに山林の斜面を登ったところでは1.26μSvでした。その場で採取した土壌は、MP周辺は221Bq/kg、道路脇と山林は1万Bq以上でした。これは、除染の効果と限界をはっきり示すデータだと思います。
― 伊藤さんはその様なデータを村役場にも示して、注意喚起を求めていますね。
伊藤 村としても、「村内時勢の山菜やキノコは食べないでください」「村内産の薪は燃やさないでください」と広報はしていますが、食べるとどうなるのか、燃やすとどうなるのかは発信しません。村内では、昔から、薪を燃料として灰を肥料にしてきた。現在、村内産の薪を燃やした灰は、10万Bq/kg以上になります。
さらに、除染した水田とはいえ、再開した学校のこどもたちに農作業実習をさせるなど、到底、看過できないことが行われています。
これらに対し、議会や教育委員会にデータを示して誓願、要望書の提出を行っていますが、残念ながら取り上げられていません。
― 伊藤さんはご自身の日常生活における被ばく線量も記録し、発信しておられますね。
伊藤 はい、2016年9月からアロカ社のPDM-122-SHCで計測中です。飯舘村の村内で屋内にいた時間、屋外にいた時間、村外にいた時間を含めて毎日記録しています。
年間の被ばく線量は、2017年が1.83、2018年が1.63、2019年は1.54(単位はμSV)でした。セシウム134の減衰とともに被ばく量は減少していますが、現在は屋外作業が少なく、一日の1/3程度は村外で過ごした上での値です。今後、営農を再開し、林業や里山除染などが増加すると2〜3倍の被ばく量になると思われます。
この値をどう見るか。若い人たちの放射線に対する感受性は高いと言われています。年間100mSvでも大丈夫という説を唱える人がアドバイザーを務めている村の将来が心配です。
― 時間の経過とともに、事故の記憶が風化し、今も続く射能汚染を「なかった」ことにしたいという人たちもいるなかで、飯舘村の実情を、具体的な測定値を示して発信している伊藤さんの取り組みは、本当に重要だと思います。
高木基金としても2017年度から3年間にわたり助成しましたが、ぜひ、これからも継続していただきたいと考えています。あらためて今後への抱負を聞かせてください。
伊藤 私はたった一年でしたが飯舘村の方の協力で念願だった農業経験が出来ました、その時に村の方が私に示して下さった誠意に感謝しています。その後も年寄の余暇の善用だと自己主張して測り続けていますが、測定の検体採取を手伝ってくださる方もいます。
事故当初から原発事故の復旧には300年かかると主張して村長と対立していますが、村民の多くの方は放射能の危険は承知していて、それが帰村率20%程度に現れているのだと思います。
私はこの先、帰還した村民を訪ねて、豊かだった自然の恵みがどうなったか、村に住む時の被ばく対策などを、お茶をご馳走になりながら、話していこうと思っています。
― 貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。