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この人に聞く 平川 秀幸さん


物理専攻から文転して

−平川さんは、科学技術と社会の関わりを研究テーマにしておられるわけですが、まず平川さんが、これまでどの様に研究してこられたのか、そのあたりからお話を聞かせて下さい。

平川  もともと大学では物理を専攻していました。その後、文転をしまして、最初は科学思想史という、哲学系のことをやっていたのですが、95年くらいから、「科学技術論(STS:"Science and Technology Studies")」に自分の関心を広げて、それ以来、この分野に関わっています。

−物理専攻の時代は、どの様な分野を専攻しておられたのですか?

平川  理論系の統計物理学、非平衡統計物理学ということで、ちょうどあの頃はやり出した、カオスとか、複雑系のさわりのあたりをやりました。日本でもいろいろな研究が増え始めたころだったので、ちょうどおもしろい時期でした。その後、東工大で修士まで物理を専攻して、それから文転してICUの院に修士から入り直して科学思想史をやりました。ドクターにあがったところで、STSの方に関心を広げました。

−STSに専門を移すきっかけは何だったのですか?

平川  特にきっかけはなくて、自然な流れでした。学部の時に、村上陽一郎さんが非常勤で科学史や科学哲学を教えておられましたし、科学史、科学哲学、科学社会学にもともと関心がありました。そもそも、技術や現代社会にもっている影響力に関心があったので、科学思想史から入って、現代の科学技術の問題に自然に進んできました。

−そのころに仁三郎さんとの接点はありましたか?

平川  直接の関わりはありませんでしたが、ちょうど僕が学部の途中だった86年に、チェルノブイリの事故がありましたから、核の問題は、同時代的にも大きな問題だったので、高木さんの本は、よく読みました。

ICUでは、大学四年の時に「理学科総合演習」と言って、理学科の全ての専攻の合同で大きなゼミがありました。これは、それまで四年間、専門で学んでいたことを相対化した上で、科学と社会の問題を考え直す、と言う演習で、必修なのですが、そのテキストとして、高木さんの『いま自然をどう見るか』が取りあげられていました。

−専門課程で学んできたものを、社会との関わりから、相対化して考えさせるということは、非常に健全なことだと思うのですが、大学の工学系のカリキュラムなどに、そのような視点はきちんと位置づけられているのでしょうか。

平川  普通は無いですね。一般教養では、それに関連することはあっても、四年生の最終段階でやることはないでしょう。自分自身は元から関心もありましたし、ICUを選んだのも、単に理系のことだけではなくて、広くいろいろな視点から勉強ができると思ったからで、大学に入った当初から、四年生の演習は、おもしろそうだと思っていました。


科学技術社会論(STS)とは−

−お話に何度も出ている「科学技術社会論(STS)」ですが、あらためて簡単に解説して頂けませんか。

平川  STSという分野は、もともとアメリカやヨーロッパで、60年代、70年代に始まったもので、例えばアメリカでは、出発点は理工系のカリキュラムの改革運動でした。

ベトナム戦争、あるいは核兵器の開発というかたちで、科学技術や工学が社会に対して非常に大きな力、ともすれば非常に破壊的な力を持ってしまっている状況で、理工系の人間は、社会に対する責任を負っている。そのためには、科学技術と社会の関係を学ぶ必要がある、という考え方から、MITやコーネルなどの理工系の大学で、カリキュラムの問題として始まったものです。イギリスでも同じように、理工系の高等教育の一環として始まっています。

その流れもあって、基本的に、STSには、科学技術への批判や反省という視点から始まっているのですが、その後、60年代から80年代半ば過ぎくらいまで、理論的には、相対主義の方向に行ってしまって、科学を批判するときに、科学技術の客観性そのものを否定するような方向に行ってしまいました。ある意味で、抽象的な方向に行ってしまったんです。

社会構成主義と言われるのですが、極端な場合には、『「電子」も社会的な構築物である。』と言った極端な見解も出てくるようになってしまって、そうすると、一方で科学技術が物理的に持っているパワー、例えば核兵器のようなものについて正面から問題視していくには、向かないものになってきました。

その後、80年代後半から90年代にかけて、もっと現実的に科学を見て、複雑な社会との関連、政治や経済との関連を見て、より現実的な批判をしていこうという流れが、アメリカ、ヨーロッパで広がっていきました。


日本での科学論と比較して

平川  僕自身が関心を持ったのが、この80年代後半から90年代の欧米の動きです。

日本でも、科学批判というのはあったんですが、しばしば大上段に構えすぎて、大きなレベルでのみ議論されていて、場合によっては相対主義の議論に終わっていたりして、現実の科学技術を考える意味では役に立たない。そのような視点からでは、現実の問題を扱えないということから、ヨーロッパやアメリカの動きがおもしろいと思いました。

その中でも、自分として関心を持ったのがリスクの問題で、時期としては、97-98年だったのですが、既にヨーロッパとかアメリカでは、実証的な研究が進んでいました。

例えば、リスク評価とかリスク管理というものを、それぞれの国で、どの様な役所や機関が、どの様に扱っているか、そこにどの様な問題があるかということを事細かに分析して、体系化していく動きが既にありました。

−そのような動きは、日本では、まだ進んでいなかったのですか?

平川  社会科学的な切り口では、ほとんどされていませんでした。

−少し話が戻るかと思いますが、先ほどの、STSの原点のお話にあった、戦争に対する科学者の荷担の問題や、科学者の責任の問題などは、同じように日本でも考えられてきたのかと思うのですが。

平川  日本でも、確かに朝永振一郎さんや、文学者の立場から唐木順三さんであるとか、後の時代には高木仁三郎さんとかが、様々な形で科学批判をされてきました。高木さんは、科学者であるということから、現場からの批判であったと思うのですが、他は得てして哲学的、思想的な批判が多くて、現実から遊離している面がありました。

現実に、科学的な事実は、どの様に実証されたり、反証されるのか、実験はどの様に組み立てられるのか、技術はどの様に開発され、利用され普及するのか、逆に、社会からの抵抗にあったりするのか、という社会科学的な事実に即した議論がなかったのです。

日本でも、吉岡斉さんなどは、比較的早い時期から科学社会学として、実証的に、科学技術の開発システムとか、政治のシステムとか、大きなとらえ方をして、その中で現実の状況がこうなっていると言うことを、実証的にとらえる研究を積み重ねておられましたが、哲学者がやってきた科学批判は、抽象的に過ぎるというきらいがありました。

志の面や、批判性というスタンスの面では共有する部分があるのですが、ではどうするのか、現実の問題はどの様にして発生しているのか、という現実への介入力が弱かったと思います。

最近、南山大学の小林傳司さんがよく使うたとえですが、「人工衛星ひまわりから、内臓の検査をするようなものだ。」と−

−「二階から目薬」という言葉ならありますが−

平川  内科検診をするのであれば、内科検診にふさわしい精度の解像度で見ないと意味がない。いままでの科学批判、特に思想的な人たちのやってきた科学批判は、わりと「人工衛星ひまわり」的なものが多い。

−それは、科学批判自体が、市民社会から遊離していたと言うことでしょうか?チェルノブイリの事故など、科学技術によるリスクが、市民社会に現実として突きつけられているわけですから−。

平川  やはりそれは大きいと思います。問題が現実に生じていて、それをどうするのか、と考えていくと、当然ながら、社会の制度の問題であるとか、システムの問題であるとか、現実の問題を分析していかないと話にならない。それをどう変えていったら良いのかという現実的な提案を出さなければいけない。

一方で、現実的な批判をしてきた人たちが一杯いるのですが、それがアカデミズムの中で、STSなり科学論として、体系化されてこなかったと思います。


科学技術を巡る学際的な広がり・現実問題へのフィードバック

−日本における問題としては、例えば、足尾銅山や水俣病の問題が大きいと思いますが、そのようなテーマの中での、科学技術論の展開については、どの様に見ておられますか。

平川  個々の問題の中では、大きな蓄積があります。また近い分野では、環境社会学でもそのような蓄積があります。しかし、それが横につながってこなかった、大きな流れにならなかったというところが、日本での弱みだったと思います。

例えば、水俣の問題でも、問題全体をつなげて、より大きな問題点を抽出する。あるいはそれを制度の問題と結びつけて、どの様な制度的な欠陥があったのか、その欠陥を補い、改善するにはどうしたらよいのか、個々の問題ではなく、問題全体を貫くような現実的な分析が弱かったのではないでしょうか。

また、分野ごとに分かれていた、ということも大きいと思います。環境社会学は、主に社会学系の人たちがやっていて、科学技術論は、出身の系統で言うと、科学史・科学哲学の流れで、思想系・歴史系の人たちが中心で、接点がなかったんですね。それは、我々としても大きな反省点で、その意味では、同じようなことをやっている他の近い分野と結びついていかないといけないですね。

科学技術の、特に負の側面に即して研究している分野は、結局、STSと環境社会学ぐらいで、後は関連する自然科学の分野ですが、それ以外の社会科学の分野は、科学技術に対して概して無関心です。

例えば、ほんの最近まで、社会学者の大部分が科学技術に無関心でした。リスクの問題については、最近、社会学会の年次研究大会で、発表セッションができたりし始めているのですが、科学技術論的なつっこんだ社会学というのは、まだ少ないですね。医療社会学とか、医療に特化したかたちでは、わりとあるんですが。

その他の分野でも、政治学、経済学、行政学、国際関係論であるとか、開発論、開発経済であるとか、どの分野でも多かれ少なかれ、科学技術論的な問題が転がっているわけですが、研究者があまり育っていないという状況です。 それに対して、ヨーロッパの場合には、学会やワークショップに顔を出せば、そこには、いろいろな分野たちが集まっているわけです。政治学出身、法学出身、経済学、人類学などの出身の人が集まって、本当に学際的な状況になっています。

−これまでの科学技術を巡る現実の問題は、水俣のことにしても、科学的な因果関係とか、企業や行政の情報開示の問題とか、そういうレベルでの議論に、大きなエネルギーを使ってきたのではないでしょうか。科学の負の側面をめぐる、これまでの人たちの努力は、まずそこに向けざるを得なかったわけですよね。いまお話を伺っていると、もっと広い分野から、まさに学際的に、問題から先に進んでいこうというレベルの話なんですね。

平川  そうですね。たしかに運動的な部分というのは、絶対無くてはいけいもので、それが現実を変えていく、一番のコアになるわけですけれども、それを側面支援するようなかたちでのアカデミズムが、育ってこなかったんだろうと思いますね。

水俣の問題であるとか、いろいろな公害問題で、現実の問題が起きていて、それで苦しんでいる人たちが居て、それを解決しようとしてやっている人たちも、当然ながら、いわゆる運動の当事者だけでなくて、それに関わっていった、裁判であるとか、そういったかたちで関わっていった専門家たちもいるわけですけれども、それをもっと広くアカデミズムの場でより体系的に議論を深めていくような動きが無かった。

−そのなかに、いまのSTSの議論が来ていると言うことなんですか。

平川  いま現在としては、アカデミズムの中における運動として、こういう分野を広げていかなければいけないと思っています。それこそ政治学であるとか、いろんな分野においても、同じような関心を持っている人たちに、集まって欲しいし、そういう人たちに増えて欲しいと考えています。実際に、関心を持っている若い人たちは増えてきていますね。


吉野川に見る「市民科学」のビジョン

−少し話題を変えて、最近の市民や研究者の取り組みとして、「市民科学」として注目しておられるものはありますか。

平川  たとえば、実際に高木基金から助成を受けている吉野川の取り組みは、おもしろいですよね。

−吉野川には、長く関わっておられるんですか?

平川  直接行ったのは2回ほどなんですけれども、動き自体は、ウォッチしていますし、会報もいつも頂いています。

STSの方では、科学技術社会論学会というのがあるのですが、この秋の学会誌で、吉野川みんなの会の理事の新居照和さんと、水野玲子さん、私の3人の共著の論文が掲載されます。昨年のシンポジウムで「市民科学」を取り上げまして、そのときに新居さんと、水野玲子さん、それから「科学と社会を考える土曜講座」(現・市民科学研究室)の上田昌文さんに報告をして頂きました。その流れで、上田さんはご自身で一本論文を書かれて、吉野川と水野さんの研究について、3人で論文をまとめたものです。

−吉野川の取り組みについて、どの様な点を評価しておられますか。

平川  いろいろとおもしろい点が有るんですが、一つは、単に技術論だけにとどまらず、その技術論プラス、技術を考える大きな枠組みというか、土台自体を変えていっている点ですね。

例えば、吉野川でよく言われているのですが、「河道主義」と言って、建設省側は、川だけを考えて、そこでダムを造ったり、堤防を作ったりして、洪水をコントロールするという「河道主義」であるのに対して、「流域主義」として、流域全体で考える視点です。その中に緑のダムと言うことも出てくるのですが、そうして技術を考える枠組み自体をずらしていく。その中で、川のことだけではなくて、地域社会との関わりにも踏み込んでいく。第十堰というのは、いままで人々に親しまれてきたコミュニティの要であるとか、漁業者の人とか、まわりの農村・農家の人とか、多面的なコミュニティと川との関わりの将来を考えていったときに、やはり第十堰を保全しながら残した方がベストであり、緑のダムで「流域主義」で行くのが方がベストだ、ということを示されていく。地域の社会と、もっと大きな流域全体との自然の関わり、というかたちで、技術を考え、地域の未来を考えることとして提起されている。それが吉野川の運動の魅力なんだと思いますね。

あれが単に、可動堰とどっちが良いかという話だけだったら、あれほど支持は集まらなかったと思いますし、姫野さんたちは、自分たちの将来の話で、どういう徳島市に、吉野川に住みたいかというビジョンの話でやっていったところが、運動のエネルギーの源なんだと思いますね。

−よくわかりました。私も、吉野川には何回か行っているんですけれど、イベントなりシンポジウムなり行ってみると、可動堰の問題は、環境破壊に対する抵抗の問題ではないんですよね。第十堰に対する愛着というものがまずあって、それに対して、建設省がやろうとしてきたことに対する違和感というのか。率直な気持ちがベースにあって、だから住民投票で「みんなで決めよう」というアプローチができたんだと思います。

平川  住民投票をやる前に、当時の中山建設大臣が、「住民投票は、民主主義の誤作動だ」と。つまり技術の問題というのは、「1+1=2」が世界中どこでも同じように、専門家が安全だと言ったら、それで良いんだと言いましたが、それがまさに論点を外しているわけですね。

技術論として可動堰がベストかどうかを住民投票で諮ろうしているのではなくて、それも当然含まれますけれど、どっちのビジョンが良いかという話をしているわけですよね。それを住民投票で決めようとしたのですから。あれは端的に、いかに専門家や行政が視野が狭いか。逆に、それに対して、運動側が、ビジョンの大きさ、ビジョンを転換したという点で、土俵を作り替えてしまったことが、吉野川の運動の強さだと思いますね。


ジョゼ・ボヴェさんの構想力

平川  同じような話で、私は最近、ヨーロッパの遺伝子組み換え関係を扱っているなかで、ジョゼ・ボヴェさんというフランスの農民の運動家に注目しています。いまは、逮捕されて、刑務所に入れられてしまいましたけど、彼が来日したときに、京都でイベントの手伝いをして、そのときに直接話したり、いろいろな方面から話を聞いたり、あるいは論文を読んでみて、ボヴェさんたちの運動が、なぜフランスやヨーロッパで、あるいは世界中で支持されているのかが分かってきました。実際にボヴェさんが5月の末に、緊急逮捕されて以来、フランスでは、すごい反対運動がおきているそうですね。何十万という署名が一気に集まったとか。

なぜボヴェさんがそれほど人気があるかと言えば、それは、遺伝子組み換え反対とか、あるいは農民運動でやっているのではなく、フランスの、あるいは世界中の農家と消費者のためにやっているんだと。「食と農、食べることと、それを作ることの未来を俺たちは賭けているんだ。」というビジョンなんです。

遺伝子組み換えになぜ反対するかと言えば、まず一つには、消費者の健康を害するおそれがある。また、環境を害するおそれがある。環境の中には、遺伝子組み換えではない作物を遺伝子汚染で汚染してしまうおそれもある。それは、フランスでもそうですし、世界中どこでもそうですが、その国や、その地方、その地域の豊かな食生活・食文化を支えている小規模農家を破滅させることである。

いわゆる大規模農業とそれを牛耳る大企業に、食と農の全てが均一化され、支配されて、ファーストフードの均一化された食文化になってしまう。当然ながら、それは、健康にも環境にも、経済にも悪い。そういうかたちで、いろいろな問題を、みんなの問題にした訳です。誰もがそこから迷惑を被る。そこで自分たちは別の未来を持ってるし、既にその未来の種はここに有ると。

ボヴェさんたちは、自分たちが美味しい食材を作り、美味しいチーズを作り、「それがフランスの食文化を支えているでしょう。その未来を広げていきましょうよ。」と言っているですね。その未来にとって、遺伝子組み換えは、いらないんだ。邪魔なんだ。だから反対なんだと。そこでも単に遺伝子組み換え反対ではなくて、「こっちのビジョンを選ぼうよ。」と訴えている。

それが、ボヴェさんたちから、世界中の「反グローバリズム」の動きに広がった−。

−希望を感じますね。私自身、ボヴェさんについては、たまたま見かけた本で、「農的農業の十原則」を読んで感動した覚えがあります。問題を突き詰めて、それを突き抜ける「構想力」というのでしょうか−。

平川  そうですね。その意味で、吉野川でも、運動に関わっている徳島市民のパワーとして、「構想力」というのが力強くあると思いますね。

−それでいて、力んでいない。

平川  姫野さんの個人的なキャラクターというのもあるとおもいますが、すごく自然体でやってらっしゃるというか、ある意味で達観している部分があるんですよね。姫野さんがよく、色んなところで書いたり、しゃべったりしておられますけど、本当に住民が真剣に考えて、それで可動堰と言う答えを出したら、それはそれで良いんだと。

−本心ではそう思っていらっしゃらないと思いますが−。

平川  そうですね。あるインタビューでは、「それで何年か経って、長良川のようになってから、みんなで後悔すればいい。」と姫野さんが言っておられたようですが。

−長良川でも、日本自然保護協会や生態学会などが関わって、建設省と科学論争が繰り広げられましたね。

平川  科学論争では、住民側が勝っているわけです。逆に言うと、建設省側には、中身がないわけですから。

−黒いものをシロと言い続ける行政に対して、科学論争では実質的に勝っていたが−

平川  運動としての大きな構想力で、みんなのエネルギーを集めていくかたちになっていかないといけないんだと思いますね。

もちろん、技術論の部分は絶対的に不可欠です。

基本的には、市民科学の方が勝っている場合が多いですし、国の方の行政科学は、中身のない、勝手なデータだけをつまみ食いした「張り子のトラ」なのですが、それが「張り子のトラ」であることを明かしていくためにも、科学技術論とそれに関連する社会科学を含めて、市民科学のパワーというものが必要だと思いますね。

その上で、市民科学を担っていく人間は、構想力の面で、感受性やイマジネーションを持っていないと、運動の側の人たちと有機的に、うまくやっていけないと思うんですね。


「サイエンス・ショップ」の可能性

−実際の問題の現場では、いわゆる大学教授などの専門家が、なかなか運動に関わってくれない。腰が引けてしまって、政治的な力関係の中に身を置いてくれない、と言う問題があります。そういう人たちを引っ張り込む秘訣(?)はないでしょうか。逆に、市民としても、専門の研究者とのつきあい方の課題というのもあると思うのですが。

平川  僕自身の研究のテーマにも入っているんですが、ヨーロッパでの「サイエンスショップ」、アメリカでは「コミュニティベースド・リサーチ」と呼ばれているものがあります。

ヨーロッパの「サイエンスショップ」は、主に大学に置かれていて、たとえて言えば、法律相談所みたいな感じですね。法律相談所というのは、法律の専門知識を持っていない普通の人たちからの相談を受けて、それに対して弁護士なり専門知識を持った人を紹介して、問題解決に当たるわけですよね。それと同じように、科学技術の専門知識を持っていないが、問題を抱えている人がやってきて−

−「河川工学無料相談所」(?)といったものですか?

平川  そうですね。「サイエンスショップ」自体が窓口になって、専門家チームをコーディネートしたり、学生をコーディネートしたり、あるいは授業の中に組み込んで、研究調査をやったり、工学系の大学などでは、実際に技術開発をしてしまったりします。例えば、「この病院で使いやすい車いす」をデザインして、製品化し、しかも、基本的には無料でやるんです。

ヨーロッパでは、オランダがメインなんですけども、そういうことが日本でもできたらと思います。

日本ではNPOベースなんですよね。原子力資料情報室もそうですし、京都にも、国土問題研究所が河川や土木の問題について活動していますね。最近のニュースでも見たんですが、大阪で、丘陵地帯の厳しい斜面のところに特養ホームを造ろうとしていて、地域の住民が危険だと言うことで反対をしているんですが、実際に危険かどうか、国土問題研究所に調査を依頼したという話があります。

それをもっと大学でもできるようになってくると、地域の人たちが何か調べて欲しいと思ったときも、そこに行けばできるわけです。たぶんそういう窓口を作っておくと、大学の研究者自身も関わりやすいと思うのです。直接運動に関わるとなると、政治的に色が付くんじゃないかと、心配する人が多いと思うのですが、大学の施設というか大学の中の窓口からの依頼ということであれば、ワンクッション入りますから、関わりやすくなると思います。

−ぜひやって欲しい話ですが、大学という組織を考えると、時間がかかる話のようにも思えます。

平川  来年から、独立行政法人化されますよね。あれが一つのきっかけになればいいと思うのです。これで国立大学も、私立大学並に、競争条件の中に置かれますから。特に地域貢献が重視されるので、いまは、産・学連携があっても、民・学連携は全然やってないですよね。そのなかで、地域社会への貢献が、産だけでなく、民との連携になればいいと思います。

実は、産・学連携といっても、それが実際に地域経済を活性化するのにどれほど役立つのかは、かなり疑問です。へたすると中小企業の方が、何年も大学の研究室より先に進んでたりしますし。大学は、産業・経済の面では直接にはあんまり役立たない、ということがそのうちにバレて来るんじゃないでしょうか。「産・学連携バブル」というか、そんな気がします。

特許だってそんなに儲かるわけではないんです。いま「特許を取れ」と盛んに言われていますし、日経新聞にもそういう特集が組まれていたりします。大学サイドからは、大学の収入源として見込まれています。しかしあれは、バブル言説の最たるものだと思います。例えば、世界理工系ナンバー1と言われるMITですら、年間取得する特許で得られる収入は、せいぜい大学予算の3%程度でしかないそうです。

産・学連携は、はかない夢だから、それより民・学連携の方がよっぽど地域から信頼され、感謝されますし、地域の自治体との間での問題解決に取り組むとか、特に地方の大学が、ある意味で地域のシンクタンク的な機能を果たしていくとか。実際に、こういう動きは少しづつ出てきていると思います。

−それも、市民側がうまく力を発揮しないといけないですね。例えば、ノリの大不作で社会的に注目された有明海の問題でも、ものすごく大きな研究予算が付いて、「有明特需」と呼ばれるほどですが、それぞれバラバラに研究が進められているようで、何の役に立つのか、本当の問題解決のための研究になっていないのではないか、という意見があります。

平川  欧米では、多くの場合、研究自体の監査委員会をつくって、そこにクライアント側の住民のメンバーが入るんです。「サイエンスショップ」自体のスタッフは、ある種の調整能力などの訓練を積んでおいて、住民側のニーズを反映させるためには、どの様な研究が必要なのかをデザインしていくんです。無駄な研究が行われないように常に監視しながら、チェックしてコミュニケーションしながらやっていくというかたちになっています。それなしには、「バラまいておしまい」の無駄な話になってしまいます。

「サイエンスショップ」のスタッフに要求される能力というのは、そういうことを調整する能力なんです。これから市民科学に携わろうとする人たちにとっても、そういう能力なり、視野の広さ、コミュニケーションのスキルを育てていくことは必要かなと思います。

その意味では、市民科学というのは、いわゆる専門家しか入れないとか、専門的な能力を大学で勉強しなければいけないかのようなイメージがあると思うのですが、その意味では、誰でもできるんですね。実際の現場である程度の経験を積んだりしながら、市民科学自体の中に、いろいろな窓口、いろいろな関わり方があって、いろいろな人たちのいろいろな能力が必要なのだと思います。


高木基金に期待するもの

−市民と科学の関わりについて、いろいろなお話を聞かせて頂きましたが、高木基金の役割として期待するもの、高木基金の進むべき方向性などについて、ご意見を聞かせて頂けますか。

平川  高木基金の役割としては、市民科学を目指す若手研究者であるとか、住民グループ・市民グループの人たちを支えつつ、横のつながりを作っていけると良いと思います。高木基金が、それの拠点として、既にだんだんなりつつあると思いますが、その方向でどんどん広げていって欲しいと思います。

−先ほどの「サイエンスショップ」のような機能が、本来、学会の中で実現されるべきものではないかと思いますが、高木基金自身が、「市民科学学会」の事務局の様な役割を目指せれば、とも思っています。

平川  高木基金が、関係する専門家を含めて、やっていく必要があるのは、市民科学を育てていく、時には厳しい目で育てていくこと。つまり、研究自体のクォリティコントロールですね。市民科学のクオリティの向上に積極的に取り組むと良いと思います。

若い研究者や学生にしても、住民グループで主体的に関わっている人にしても、実際に行政に勝てるような研究をしていくのはすごく大変ですから。それができるような力を、だんだん底上げしていけるように。そうすれば、世間からも信頼されていくわけですし、「高木基金から助成を受けた活動」ということで、それならこれは、ちゃんとしたものなんだと、世間の人も思ってくれるようになると良いですね。

−それを目指していきたいですね。そうでなければ、仁三郎さんが残してくれたものを生かすことにならないですね。

平川  高木さん自身の場合でいえば、日本で原子力関係の問題があれば、メディアは必ず原子力資料情報室に問い合わせをするわけです。高木さんが生きておられた当時は、高木さんが生で出演されてコメントする。それが、高木さんたちが築いてきた実績の表れで、いろいろな市民団体が、それぞれの問題について、そのように必ずマスコミから問い合わせがくるように、行政も無視できないような力を持つようになると言うのが、将来望ましい姿ですね。

−平川さんは、ご自身のホームページで、市民科学に取り組んでいるグループなどのリンクを載せておられますね。その中で、高木基金として参考にすべきグループなどを教えて頂けますか。

平川  「科学技術と市民参加」のリンクのところですね。この中には、僕自身もこれからインタビューに行こうと思っている団体もありますが、例えば、「国土問題研究会」などは、既に30年以上の実績があるわけですから、ノウハウの点でも、学ぶことがあると思います。

もう一つは、環境総合研究所ですね。あそこも環境行政改革フォーラムというネットワークを持っていますが、あのようなネットワーク型の組織というのが、参加する方としても、リソースを集める側としても、有効な手法だと思います。このフォーラムは、かなり多くの成果を出しておられますね。この様な組織が、日本全国の何カ所かにできれば、日本の市民社会としての力がつきますね。


市民科学者を目指す人たちへ

−最後に、市民科学を目指す人たちへのアドバイスを、ひとことお願いします。

平川  そうですね……(かなり考え込んで)…… ひとこと言うとすれば、「市民科学はきっと楽しい!」(笑)

−……(ややあっけにとられつつも)それは市民感覚を取り戻すことの楽しさでしょうか。

平川  それももちろんありますが、研究者としても楽しいと思うんですね。市民感覚として、いろいろな出会いがあったり、困難に直面したり、時にはけんかをしながら乗り越えていくという運動としての楽しさがあります。それとともに、先ほど、話になった「構想力」の点から言えば、ビジョンを目指して、単に抵抗するのではなく、対抗して自分たちのものを作り出す。新しいものを作り出す。守りたいものを守り、夢を実現していくという、楽しさ、ワクワク感があると思います。

それと同時に、研究者として、自分の研究や研究者としての能力が、人様に役立つということがあります。また現実の問題は、大学の実験室や学会で取り上げられるような問題より、よっぽど難しくて、よっぽどチャレンジする部分が多いと思うんですね。そういう意味では研究者としてのうまみ、楽しみもあると思います。

ですから、市民として、運動としての楽しみと、研究者としての楽しみと両方あって−

−ひと粒で二度おいしい!?

平川  そう。「市民科学は絶対楽しい!」と思います。

−貴重な話を聞かせて頂き、本当にありがとうございました。

<取材日:2003年7月18日 聞き手:高木基金事務局 菅波 完>


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